あれは1994年の初夏の頃だったろうか。
その年はサッカーワールドカップアメリカ大会の年で、イタリアの至宝と呼ばれたロベルトバッジョが活躍し、イタリア代表(アズーリ)はぐいぐいと勝ち進み、ロマーリオやドゥンガ率いるブラジルと決勝戦で激突し、PK戦までもつれ込んだ末、バッジョがPKをハズし惜敗するというドラマティックな結末で幕を閉じた。
その頃俺はイタリア中部ウンブリア州の小さな街ペルージャに共同で部屋を借りて滞在していました。Jリーグの産声すら聞かずに日本を飛び出し、サッカー熱もそれほどではなかったにも関わらず、幸運な事にいきなり本場のヨーロッパサッカーの熱狂とワールドカップの爆風に巻き込まれたという感じでした。
カナダのアイスホッケーやアメリカのベースボールやバスケットボール・フットボールもかなり熱狂的で驚いたけれど、サッカーは別格、特にワールドカップはまったく別の時限と言って良い程の生命力で、生き物の様な大きなエネルギーの塊でした。
普段はテレビなんて見なかったけれど、試合の日だけは仲間が仲間を呼び、大勢集まってテレビの前で観戦したのも本当に楽しかった。もちろんビーノが空けられ、カルチョがはじまる。
試合のある日は街中に「仕事どころではない」という、空気が漂い、試合が始まれば、通りから人は消え、選手の一挙手一投足ごとに、家々の開け放った窓から歓声やどよめきが路地に響く。得点が入れば街が揺れた。
勝利が決まった途端に車のクラクションが鳴り響き、中心街の広場に向かって人々が手に手に大小の国旗を旗めかせながらぞくぞくと集まり、viva!L'Italiaの歓声があがり、誰かが歌い出せばたちまち広場に大合唱の渦が何度何度もまきおこります。勝利の宴は国中おそくまで続きます。
初めて見たその光景に完全に圧倒され、そして心の底から感動しました。
羨ましくて羨ましくてたまらなかった。
この広場の国旗が日の丸だったら?と想像してみたけれど、どうひいき目に見ても、ネガティブなイメージが先にたつ。
酔った頭の中で、いつかあの国でも、明るく日の丸をパタパタやりながら、みんなが笑顔で集い歌える時がくるのかなぁ?と他人事の様に考えていた事を思い出します。
この国は。
今ならどうだろうか?
もう一度よく考えている。
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