2007年5月30日水曜日

5月が行ってしまう。


5月が行ってしまうなぁ、今日東京は雨ですがここ数日のカラッとした空気と太陽は清々しくて、放浪癖を押さえ込むのが大変です。僕が初めて暮らした海外の街がカナダのバンクーバーという所でした。バンクーバーの5月というのがちょうど最近の気候に似ていて、新緑で眩しいほどの街並みにバラなどの花々が家々を彩って、晴れた朝などはスプリンクラーのシャワーに朝日がキラキラと弾けて、思わず心の奥まで深呼吸して瞳をキラキラさせつつウフフフと微笑んだりしてしまうほどなのです。そんな思い出のせいか5月は清々しい風などに吹かれてしまうと、そのまま何処かに旅立ってしまいそうになるのを必死で押さえ込んでいます。



2007年5月17日木曜日

青空ビ~ル!


『オーシャンライフ』という船の雑誌をご存知でしょうか?
・・去年の暮れ頃、休みの日にかなり懐かしい男が我が家に顔を出しました。
「にぃさん、お久しぶりっす!」と言って相変わらず日焼けした顔に人懐っこい笑顔で頭をパシパシゴシゴシやりながらあらわれた。車の雑誌から船の雑誌に転職するそうで
その船の月刊誌が『オーシャンライフ』というのです。
ほんとに何年ぶりかの再会だった。なぜ俺が兄さんかと言うと、俺の「妹の旦那の友達」として知り合ったので自然とそう呼ばれる様になったのだ。
この仲間達が実に気分の良い奴らなのでした。

彼らと知り合った当時、俺は会社の倒産やなにやらでかなり心も体も疲れてしまっており自分でもわかるほど無表情になってしまっていた時期でした。

妹の旦那『森沢明夫』(妹いわく、明るい夫)と強烈な個性の仲間達が海や川に連れ出してくれたり、引越しだぁー!と集まってはその筋肉にものをいわせドッとかたずけてくれたり、夏祭りで焼きそばとフランクフルトを売るぞーっと言ってワッサワッサと焼きそばを掻き交ぜたりした。終わると一軒だけ残っている古びた銭湯に、またドッと入りに行った。
彼らとの釣りも楽しかった。知識はしっかりあるが全くマニアックなものではなく、ただもう純粋に海や川を楽しんでしまう感じで、釣れなければ潜って手掴みでも捕まえて来てしまうし、徹夜で夜釣り呑みしたあとに炎天下の砂浜で獲物バーベキューをし「うめーぇっ」と唸りながらニコニコと本当に美味そうに喰うので30まで刺身が食えなかった俺までつられてカワハギの刺身を肝醤油なんてので「うめーっ!」とやってしまっていたのでした。
ボードも無いのに体で波乗りをしたりと、書き出したらきりがない。

『森沢明夫』はその『オーシャンライフ』で『渚の旅人』という日本中の海岸を旅するエッセイをもう何年も連載しています。この二人が同じ本の仕事をすると聞いて「また面白い事がはじまるぞ」とひそかに期待しています。

森沢明夫の野宿旅や仲間達との物語が爽快に描かれた本『青空ビール』はワッハッハと声をだして笑ってしまう晴々本です。『野の花』も優しい気分になれる本です。最近は筋肉が共鳴するのか?格闘家との仕事も多く須藤元気さん武田幸三さんの本も書いています。下のアドレスで紹介していますので是非読んでみて下さい。



2007年5月9日水曜日

指輪の憂鬱


仕事を終えて駅に向かう薄暗い歩道を終電を気にしながらテクテク歩いていると、道の真ん中にキラリッと光る物が、何だろうと思わず拾ってしまい明るい所でよく見るとなんと高級ブランドの指輪!だった。周りを見回しても誰もいないし近くに交番もなく終電も心配なので鞄にしまって電車に乗ってしまった。座席に落ち着くと、この小さな指輪一つでこんなにも目眩がするほどの妄想が巻き起こるとは・・・例えばこんな感じ・

・・・歩道のど真ん中に指輪が落ちているという状況はかなり不自然だよな・・そもそも指輪は落ちるものだろうか?あっ!ドッキリカメラ風のイタズラか?偽物という事もあるな・・本物だとしたら困ってるだろうな・・プレゼントされた物かな?ケンカして感情的になって投げ捨てるドラマみたいな状況か?まさか事件に巻き込まれたとか!じゃぁこれを交番に届けたら疑われるな・・良い事して疑われるのはやる瀬ないぁ・・・明日落ちてた所に置いてきてしまおう・・でも結構人通りあるんだよなぁ・・・・。

そのうち仕事疲れと妄想疲れで段々イライラしてきた。少し電車に揺られながら眠ってしまいたかったが・・・しかしこの大都会東京でこんな小さな物に出会ってしまう俺はツイているのか・いないのか?なんて思考はつづいて疲労困憊。
結局翌々日交番に届けて、こんなのが返って来たら困るので「全ての権利を放棄します」という書類にサインをしたらスーッと気持ちが軽くなってしまた。交番を出て目の前の東京体育館上空の飛行機雲を眺めつつ俺もまだまだでございます、はいはい。とタメ息などついているのでした。


2007年5月3日木曜日

道具のことば


テーブルを貰ってきた翌日の月曜日には浅草へ。
その数日前にシルバーのパーツを作ってくれている「ナゾの釣師」ゴトー氏から電話が入り、会社を閉めてビルごと解体してしまうというベルトメーカーさんが「道具や工作機械で使えるのがあれば持っていっていいですよ」と言ってくれてますがどーします?と素直に喜んでいいのかわからないが我が工房にとってはとても有り難い話をいつものノンビリとした調子で知らせてくれました。23日で全て廃棄されると聞いてさっそくゴトー氏と革屋の友人にたのんで車で出動してもらい使い込まれた機械や道具を遠慮がちに、しかし眼光鋭く物色し「どーもありがとうございます!大切にしますから」とお礼を言って裁断機やプレス機などをいただいてきました。

しかしここ何日間で譲り受けてきたモノ達には共通して醸し出される
風格の様な「俺は働いてきたんだ」という貫禄と存在感がありますねぇ。
これと似た感覚は使い込まれて修理品として還って来るコルボの鞄や財布達にも感じています。(時々すぐに帰ってくるのもおりますが・・スミマセン)
俺達の知らない所でしっかりとやっていたんだな、もう会う事もないかも知れないが少し休んでまたしっかりやってこい。そして運が良けりゃまた帰って来い。本当にかっこいい鞄や財布や仕事とは俺の中ではそういう事なのです。


2007年5月2日水曜日

貰ってきたテーブル


ここのところ立て続けに「いりませんか?」「使いませんか?」という声をかけていただいて「全部いります、どーもどーも」と引き取りに飛びまわっていました。貰い物といっても大物ばかりで先々週の日曜日は従姉の旦那さんが永かった海外単身赴任から大荷物と共に帰って来たので古くなった大きなテーブルをどうにかしたい、ということで埼玉の新座市まで引き取りにでかけました。かなり重くしっかりしたテーブルや絵本などを一通り車に積み終えて、昼食がてらみんなで近所を散歩。広い畑の畦道を歩いていると少しぬるい春風が意外なほど強く吹き抜けて、近くの平林寺の森の新緑が大きく揺れながら淡く輝いているのが見えました。(この森は天然記念物だそうです)
まだ仏納や開発の魔の手がはいらないこのあたりは俺が子供の頃に遊んでいた記憶の中の風景によく似ていて懐かしくやさしい気分になりました。

貰ってきたテーブルは我が家になんの違和感もなくしっくりとおさまってしまいました。
十もはなれた従姉の影響で絵を描きはじめ、美術学校の入学祝いに従姉から貰ったノーマンロックウェルの大きな画集はいまでも大切にしています。従姉の子供達は子供ではなくなり自立の準備に入ったようでした。テーブルの傷を直すようにと塗料までくれたのだが、なんとなくこのままでいいなと思っています。